大学生活最後の日

 僕にとって、大学は20代のほとんどを費やした場所だ。先日、その大学院を卒業した。

 卒業式は晴れ晴れとした気分もある一方で、周りとの差を否応なく感じさせられる場でもあった。スーツを着込み、胸を張って家を出たは良いものの、会場までの道で他の卒業生が合流してくるたび、自分が無性にみすぼらしく思え、背筋が曲がりそうになるのに度々気づいて姿勢を正そうとした。会場に到着すると卒業生たちは、友人同士か、研究室仲間か、談笑したり写真を取り合っている。僕が留年している間に思いつく友人は大学から去ってしまったし、研究室外の付き合いもさかんだった訳ではない。自然、今日も一人だが、もう慣れたものだ。早々とホール内に入り腰を下ろすと、楽しそうな男性グループや恋人同士と思われる男女、二人組のアジア人留学生などに囲まれた。僕の隣には誰も座ってこない。待っているうちに、座席にいる卒業生の写真撮影が始まる。カメラマンに後ろの二人を撮りたいから頭を下げてくれないかと言われて、自分が被写体に値しないかのような意識にとらわれる。

 卒業式では、各専攻の代表者が呼ばれ、壇上で学位記を受け取る。彼らのきりりとした横顔やスーツ、振袖姿を見るたび、老けて下膨れた自分の顔が嫌になる。壇上を見つめる僕の視線上では、整った顔立ちではないが眼鏡をかけた賢そうな男子学生と、茶髪でショートカットの、これまた利発そうな女子学生がこつんと肩を触れ合わせ、内緒話をしている。式も終盤になり、学長の目に留まった論文が紹介されると、僕のいたたまれなさもさらに増してくる。なんとか修了はしたが、果たして僕の論文は彼らの内容に匹敵するだろうか。もちろん最も注目されるようなほんの一握りと比較して劣っていても恥じるべきでないことはわかっているし、また研究には簡単に優劣を付けられるとは思っていない。けれども、自分が残した論文は全体の下の方にあることは確かだろう。こうして、ともすれば卑屈なことをささやいてくる心の声を懸命に抑えつつ、長かった僕の大学生活は終わりを迎えた。

 振り返ると、ここ数年は孤独だったという他ない。研究室にも心を開いて付き合える相手はほとんどいなかったし、大学内にすら相談できる相手はいなかった。「研究以外のことをやっているから結果が出ないのだ」という言葉を判断力の低下した頭で額面通りにとらえ、社交もしなかったおかげで共同研究者以外の人脈も広がることはなかった。たとえ孤独でも、それを埋め合わせる何かがあれば心は満たされただろうが、研究もうまくいっていなかった。そんな有様だったので、その日卒業したとき僕の中にあったのは、正直に言えば達成感よりも「やっと終わった」という安堵感の方だった。