今日も独りで夜を往く

挫折した30代の社会人生活

睡眠不足(となにか)で人生が破滅しかけた話

 

ことの顛末

分かっていてもなかなかできない「よく寝ましょう」

 睡眠は大事なものだ、という考えは広く知られているが、骨身に沁みるほどわかっているかと言われたらそうではない、という人が多いのではないだろうか。むしろ、大抵の場合は自己コントロールがある程度効いていてそこまでに至らないだろう。何事も「知識として持っている」こと、「体験として理解していること」、「実践できること」には大いに差がある。うまくいっている間は最初の2つができなくとも実践はできる。例えば、小さい頃からの習慣付け、早寝早起きがしっかり身についている場合だ。その習慣という名のレールから外れたとき自力でグイッと戻る力が比較的弱い人には幸か不幸か、2つめの段階を味わう機会が与えられる。あまりに当たり前の、「よく寝ましょう」がやっとできるようになってきたという話。

 

破綻するまでの生活

 まず、生活と頭がやられるまでの生活に目を向けていこう。研究生活中の僕の睡眠時間は「自分の中では」短い方だった。長らく続けていた典型的な生活パターンはこうだ。大学に8時半に行き、研究をして家に22時くらいに帰り洗濯やら夕飯を食べると、とりあえず疲れ切って動けなくなり、好きな本も読めず、つい調べごとで始めたネットをやめられなくなる。終わった頃には24時半、無駄な時間を過ごしてしまったという虚しさと、本を読みたいという欲求から、2時過ぎまで本とネットの合わせ技で粘り、溶けるように寝る。朝は8時に起きて研究室に走る。

 質はともかく6時間は寝ており、これは世間一般で危険視されるほどの短眠とは言えない。実際、この時点では多少ストレスを感じていた程度であって朝も決まった時間に研究室に顔を出すことができていた。しかし、この時点で後の破局の予兆はすでに顔を出していたといえる。 

 それは自己コントロール能力の低下だ。この間、自分はよく寝ればパフォーマンスが上がることも分かっていたし、「早く寝なければ」と思っていたのにも関わらずこの生活を続けていた。アルコールやギャンブル依存について、「『やめなければ』と思っているのにやめられない」という話が聞かれる。まさにこれであった。そして依存のように行動がコントロールできない状態というのは、ストレスを解消できていないときに起こる。それではなぜそこまでのストレスが溜まっていたのか。

 そもそも、指導教官に罵倒される、研究がうまくいかない、といったストレス要因は別にしても、元来僕は活動時間が短い方である。小学校から大学まで授業はほとんど聞いていなかった(眠くなってしまい聞けなかった)し、大学受験のとき同級生が皆10時間以上も勉強していると聞き愕然としたものだ。それでも試験直前になるとギアが切り替わり、追い込みを効かせて乗り切る、というやり方でここまで来た。しかし研究室は・今回もそれを正面から認めきって、「俺はそんなに長くやれないから誰がなんと言おうとその戦略(=効率的にやる)で行こう」としてしまえばよかったのかもしれない。とはいえ、現実はそうもいかなかった。やはり実験科学はトライアンドエラーをどれだけ回せるかというのが勝負の分かれ目になるし、指導教官の方針が実験する箇所を絞るスタイルよりも大容量の馬力をもって色々な方面に種を蒔くというスタイルだったことも要因としてあったと思う。つまり、単純に能力を超えた活動時間に加え、「もっと研究時間を増やさなければ」という自他の圧力からくるストレスを、家に帰ってからの数時間で解消していたのだと思う。しかし、いよいよそんなぎりぎりのバランスが崩れる時がやってきた。

日曜の朝から晩までパソコンの前で呻きながら過ごす

 ことの始まりは新しく共同研究を始め、実験系統の複雑化や打ち合わせの対応など頭脳労働による負荷が増えたことだった。増えた分のタスクはそれまでの労働時間では処理しきれなくなり、日曜日も終日対応に追われるようになる。時を同じくして、実験時間を増やすようにという指導教官からの圧力も強まりだした。しかし、実験が増えれば増えるほど、複数の人間の予定は絡み合って計画に収拾がつかなくなってくる。この時点で研究生活の方は破綻していたのだと思う。

 まず、朝が起きられなくなった。朝8時半に家を出ていたのが、10時になり、そのうち昼前にしかいけなくなった。それでもなんとか休まずには登校していたが、ある日曜日、プレゼン用の資料を作ろうとしても全く手が動かず、朝から晩まで研究室のパソコンの前で呻きながら過ごした時には、さすがに自分でもその異常性に気づいた。心療内科を受診すると、先生は適応障害という。とにかく休め、ストレスから離れるのが先決だと言われたがそのときの僕は、まとまった休みなど取ろうものなら研究室から締め出されるのが落ち、といった恐怖を強く抱いており、すぐにはその指示に従うことはできなかった。

 当時の日記を読み返すと、内面もグチャグチャだったことがよく分かる。

 

もっとやらなければ、成果を出さなければ将来やっていけない

これ以上やるのは自分の能力を超えているが、先生も俺の事を考えて言ってくれてるんだ&キツい思いをするくらいでやめていては競争の世界で勝てない

ストレス増

寝る以外の逃避行動が増える

朝起きられなくなり、遅刻する

計画がまとまらない、実験でミスをする

はじめに戻る

このフィードバックループが全速力で回転していた。キツい思いを〜のところは事実ではあろうが、程度問題である。また現実的にやれていないのだから根性のせいにせず対処すべきであった。

 ここから、なんとか生活リズムを立て直すためにありとあらゆることを試してみたが、結論から言えば全て効果はなかった。以下がその内容である。

・生活リズムの記録

・定時に登校することに報酬を与える

認知行動療法による就寝・起床を妨げる自動思考への対処

・マインドフルネス

 一つだけやれなかったのは「習慣付け」である。無理矢理でも二週間くらいやってみればよかった。しかし、習慣付けには「辛い時期を超えたら楽になる」という希望が必要だ。当時の僕には長期的にも短期的にもそんな希望はなく、またきちんと朝起きて家を出られるようになるとは到底思えなかった。

 次の日への希望がなくなると、この精神状態で明日も過ごせるか不安になり、余計に寝られなくなる。逃げるようにネットや読書にのめり込む時間が増え、かつて効いていた認知療法でなんとかメンタルを改善しようと焦ってノートに書き込み、夜更かしはよりひどくなった。

 もうどうにもならなくなり、研究生活はじめてまとまった休みをとった。その間幽鬼のようにさまよい、ノンフィクションを読んだ。これは自分の人生を客観視できるという意味で意外に良い影響を与えた。一週間で40点くらいのエネルギー状態には回復し、これでまたガリガリと働けるかと思ったが、復帰して2日でもとに戻ってしまった。

 結局、卒業するまでそのリズムは変えられなかった。働いている今はそのようなことにはなっていない。負荷の絶対量が減ったことに加えて、休まないことの恐ろしさを身にしみてわかっているせいだ。休むこと、睡眠が以下に大事であるかは研究者が書いたものも含め多数ある。そこで、おかしな状態と比較的正常な状態を比較できる今、主観的にはどうなのかといったところを書き出してみようと思う。*1

 

睡眠不足の影響

単純作業効率の低下と全体性が捉えられなくなること、面倒くさくなること

 まず、あまり思考を要しない、プロトコルが決まった作業でケアレスミスが多くなる。順番に物を移し替えたり、繊細な操作が自動化されている場合だ。生物実験で言えばたくさんあるチューブに順にサンプルを移したり、無菌操作を行ったりするといった作業になる。

 さらに、このように正常な状態ではほぼ意識的に考えていなくてもうまくいくような作業では、ミスの発生率が劇的に上がると意識で注意を増やす必要がある。特にミスしたときの影響が大きかったり他人に監視されている場合、余計に自分が信用できなくなりミスが増えたり過剰に確認することによって全体の効率が大幅に低下する。基本能力が下がっている場合、意識的な努力ではどうにもならない事が多いのだ。

 次に、物事の全体性を捉えることが難しくなる。自分に対して一つの失敗から全人格的に批判を始めたり(過度な一般化)、キャリアについて一つの道がだめなら人生全てが終わりのように感じる、あるいは異性関係についても個人に対して過度な思い入れがあったように思う。

 しかし最も恐ろしいのは意思決定力が麻痺するということだ。有り体に言えば全てが面倒くさくなる。面倒くさいとは、行動を起こすのに必要なエネルギー(活性化エネルギー)が大きくなるという意味である。言わば「よっこらしょ」ができなくなるのだ。正常な状態であっても、長期的に見て有益なことを先延ばしにしてしまうことはしばしばある。しかし、睡眠が足りていない状態では全ての行動の活性化エネルギーが少しずつ上がり、これが累積して結果として破局的な悪影響をもたらす。

 このような睡眠不足下の状態をゾンビに形容する表現が見られる。ここからは寝不足ゾンビ状態で起こることについて各シチュエーションに分けて書いていく。

生活がコントロールできなくなる

 人は生活を習慣化して保っている。歯磨きや寝ることなど全てを意思でやっていたら、とても保持できるものではない。しかし、人は習慣化してもそれを維持するためにはある程度の努力が必要になる。ゾンビ化すると、それがうまくいかなくなる。

 僕の場合、一日の中で最も努力が必要になるのは寝るときだ。特にその日の出来に満足しておらず、まだやりたいことがあり次の日にできるかもわからないのに、今やりたいという欲求を抑えて寝るのは本当に難しい。正直、今でも2時まで読書やネットをしていて翌日後悔をすることはある。

 一度睡眠不足になると余計に生活リズムを正すタガが緩み、さらに正常な睡眠時間をとることが難しくなっていく。

 もちろん意志の低下が影響するのは睡眠時間の維持だけでなく、生活全てだ。歯のケアは朝家を出るときだけ、枕カバーを洗濯せず、部屋にホコリはたまり、デザートを食べるのを自制しなくなる。健康的な生活からは程遠くなっていく。

仕事ができなくなる

 作業を効率良くこなすのに最も重要なことの一つは、優先順位をつけることだ。しかしよく眠れていないときには優先順位付けの精度が落ち、一つ一つの作業速度が落ちるのみならず中長期的な計画が杜撰になる。

 計画といっても作業・実験計画に限るわけではない。例を挙げると、「相談に行くと怒鳴られそうだが今許可を得ておかなければ遅れが発生する」という場合に「もっと下調べをしていく」「まずは経験者に聞いてみる」「他の上司に話を通してもらう」「どちらにせよ怒られるのだからサッサと聞きに行く」といった判断ができなくなり、無為に時間を過ごすことになる。この場合、「自分の作業の速度」「他人に物を頼むことで以後頼みにくくなることを避ける」「怒鳴られて嫌な思いをしないこと」といった価値観の重み付け、優先順位付けができなくなっている。

 優先順位付けができなくなる理由は全体性を見る能力と面倒くささが上がることであるが、加えてリスクを理性的・感情的に過大視するようになることが挙げられる。例えば、以下のような事例がある。

  • 実験に失敗して数日間無駄にすることの発生率・重大性を高く見積もり、先延ばしする。試行錯誤のサイクルを速く回し、改善することができなくなる。
  • どこに行っても発生する「分からないなら聞きに来い」「そんなことを聞きに来るな」問題において、聞いて怒られることの発生率・重大性を高く見積もった結果、余計に相談すべきかそうでないかの判断がつかなくなり、決断を先延ばしする。

人間関係が悪くなる

 シンプルかつ深刻な問題として、頭に浮かんだことを言葉にできなくなる。むしろ、言われたことについて頭のなかに何も浮かばなくなる。そうなると、「あっ、あっ…」といったふうにまさにゾンビか、カオナシのように。

 言葉が浮かばないことに加えて、相手の印象を考えて言葉を選ぶことができなくなる。人は普段相手がどう思うか差こそあれ考えつつ言葉を選んでいるが、ゾンビ状態では毎回毎回言葉を選ぶことが面倒くさくなるし、いかに努力しても不適切な言い方がこぼれ落ちてしまうことはある。

 この傾向はより緊迫した場面において重要になってくる。つまり、問責されている場面である。「言い訳はするな」とはよく聞かれる言葉であるが、実際のところ、自分に非があるか、相手の性格、機嫌などを素早く観察し、濡れ衣を被っても黙っていたほうが良いのか、理路整然と自分に非がないことを認めるのか、(あるいはその中間)長期的な利益を考えて反応する必要がある。

 しかし、ゾンビ状態では、問責に対して有効な反応ができなくなる→評価が悪化する→濡れ衣多くなり、余計言い訳する機会が増える→問責の機会が増える、というフィードバックループが回転する。このループは非常に厄介で、一度ハマりだすとちょっとやそっとの業績で覆すのは不可能である。そもそも短所を全て取り返せるようなアッと言わせる業績を挙げられる世界は限られているのだ。

 ここまで述べてきたのがアウトプット精度の低下に由来する問題だとすれば、インプット精度の低下によって起こる問題もこれまた重大である。それは、他人の言葉の真偽を評価する能力が落ちるという問題である。

 人は正常な状態では、他人の言葉の全てを信じ、自分に当てはめるわけではない。心のフィルターと例えてもよい。ゾンビ状態では他人の言葉を吟味し、真実なのか、それとも聞くに値しないのか、判断する気力が失われる。こうなると、「君は何も出来ないやつだ」などと明らかに虚偽のコメントを受けても、それをダイレクトに信じてしまい、メンタルがどんどんと悪化していく。逆に人の言うことを悪くとらえ、何でもかんでも皮肉や悪口と解釈する、というパターンもある。

経験を活かせなくなる

 単純作業についてケアレスミスが増えるということについては既に書いた。あるいは、意識的な決断の能力も下がるということについても述べた。しかし、このことはその場にのみ見られることではなく、経験を次に活かす能力も落ちると感じている。

 その原因の一つは「過度の一般化」と呼ばれる認知パターンである。人は経験をその場限りのものとせず具体性を落とし一般化することで、他の状況にも経験を活かすことができる。しかし、人は抑うつ状態では適切に一般化を行えなくなることが知られている。例えば人に文句を言われたとき細部は思い出せないが嫌な感情だけが残り、徐々にその人、あるいは他人全体と話すことを恐れるようになる、という場合だ。この場合、具体的な状況から得られる教訓が全て破棄される一方で、「この人と話すと嫌な思いをする」「人と話すと嫌な思いをする」という間違った、かつ本来より広い範囲の一般化が行われている。この思考パターンでは、次はどうしたら怒られないか、それとも何をしても怒られるのだから開き直ってみるのか、といった生産的な行動が取れなくなる。

 僕がうつ病と診断されるレベルの抑うつ状態だったかは不明だが、寝不足に端を発した一連のゾンビ状態においてもこうした状態が起こっていたように思う。もしそれが正しいとすれば、寝不足はその日の活動のクオリティを落とすだけでなく、未来の成長にも著しい悪影響を与える、ということになる。

結局、どうすればよいのか

 実は、現在でも毎日適切な睡眠時間を取れているわけではない。あれだけ苦しんで睡眠の重要性を分かっているはずなのに、不思議なものだ。

 研究室を離れてから数ヶ月でだいぶ頭の調子は戻ってきた。適応障害はストレス源から離れても6ヶ月以上継続することは珍しいらしいので、やはり僕を診た医師の診断は正しかったのだと思う。

 適応障害とまではいかなくても、僕が言えるのは一度睡眠のリズムを崩した人が元のように適切な睡眠時間を取るのは大変に難しいということである。特に、日中ストレスがかかる職場では、自制心がなくなる&ストレス発散を求めるせいで、疲れていて寝ないと次の日に苦しいのが分かっていてさえ、夜中までネットをしてしまうという羽目になる。習慣になってしまっており、しかも短期的利益がある行動をやめるにはかなりの努力が必要である。

 この状態を改めるには、やはり新たに習慣を変えるしかない。習慣付けは、行為をする際に必要な意志の必要量を小さくする。そうしなければ、いまここで頭に快楽を与え続けている趣味をやめて寝床へ向かうという大きなストレスを毎夜乗り越えなくてはならず、そんなのは正直言って不可能である。

 さて、早く寝るという習慣付けをすることに決めたとしよう。その方法論については、報酬を与えるとか、毎晩記録してフィードバックするとか色々なものがある。しかしここで最も重要なのは、毎日夜更かしをしていた人がいきなり「心を入れ替えて」今日から毎日決まった時間に寝ようとするのは無茶である、としっかり認識しておくべきだということだ。毎日遅刻してもう遅れたくない、遅れられない、と思っているときにこそ、しっかりと現実を見なくてはいけない。

 僕が成功した習慣の変え方は、目標は少しずつ、しかも一つに絞るということだ。週7で起きられないなら、初めは週3で決まった時間に寝て起きることだけを目標にする。筋トレや瞑想が一日のパフォーマンスを上げることが分かっていても、それを合わせて目標にしてはいけない。もちろん、他の取り組みを好きでするのは問題ないが、「達成すべきこと」に含めるのではなく、「失敗してもまあいいや」カテゴリに入れておくべきだ。

 初めは、理想の自分像と現在の生活がかけ離れているほど、こんなことではダメだ、生活をガラリと変えなければ、ともう一人の自分が語りかけてくる。しかし、上に書いたように、習慣はついてしまえば維持するための精神力は低くなるのだから、毎週少しずつレベルを上げていけば、少しずつ生活は変えていけるのだ。このことを、行動分析学の本でもよいし、心理療法の本でも、自己啓発本でも、医師の話でもよいので、しっかりと信じること。ありきたりで漠然とした物言いにはなるが、自分の成長に希望を持つことが大事だ。階段はジャンプでなく一段ずつ上がること。

 睡眠不足や夜更かしに悩んでいる人がどれだけこの文を読んでくれるかは分からないが、まともな生活に戻るために多くの時間を費やした自分の経験が少しでも他の人の生活改善に活きればと思う。

*1:以下の症状について、睡眠不足の影響よりも適応障害によるものでは?という疑問については、現在でも睡眠時間が短い日には同様の、ただし軽い程度の症状が出ることから、やはり睡眠不足が大きな原因ではあると思う