今日も独りで夜を往く

もっと生き生き暮らしたい

心が向かう場所、それは南極。

 ふいに、どこか遠くへ行きたいとか、何かを作りたいとか、はたまた叫びたいとか、自分の中にくすぶるものを表出させたいと思うことがある。アニメ『宇宙(そら)よりも遠い場所』の主人公もそんな想いを胸に秘めた少女だ。

f:id:tawashan:20180108221440j:plain

 今期放送開始の『宇宙よりも遠い場所』は南極を目指す女子高校生達の姿を描く青春アニメだ。高校2年生の玉木マリ(キマリ)は、駅で同級生の小淵沢報瀬が落とした100万円を拾ったことをきっかけに彼女の南極へ行きたいという望みを知り、自分も南極を目指すことにする。

 キマリは、最初から明確な目標を持った人物としては描かれない。行動力もなく、学校をサボってどこかへ旅をする!と決め込んだはよいものの、雨が降ったことを理由にすごすごと戻ってきてしまう始末だ。一方、報瀬には観測員だった母を南極で亡くした過去や、「どうせ南極へ行くなんて無理だ」とハナからバカにする周囲を見返してやるという想いもあり、本気で南極を目指している。それは、物語開始時点で既に100万円を貯めていることからも分かる。

 かといって、キマリが情熱を持てない、ぐうたらな女の子かと言えば決してそうではない。この物語は、

よどんだ水が溜まっている。それが一気に流れていくのが好きだった。

という彼女のモノローグから始まる。 そして、彼女は高校で「青春」をすると決め、ノートにその文字を書き込んでいる。おっとりしながらも、胸の中に非日常への憧れを秘めているのだ。しかし、よどんだ水がどこに行くのか、青春とは何なのか、彼女は分かっていなかった。

 多かれ少なかれ、誰しもキマリと同様によどんだ水の行き先=自分が本当にやりたいことを分かっておらず悩むことがある。それを見つけた人は、僕の周りをみてもほんの一部だ。「本当に自分のやりたいことを探す」という言葉は、進学・就職の過程でよく聞く文言である。それを探し切る前に諦めて文句を言いつつ最初に就いた仕事を続け、あるいは最初に付き合った人と結婚する人も多い。もちろん、まず目の前のことに全力で向き合うことが悪いわけじゃない。しかし「コレじゃない」という違和感を抱いたまま生きている人は、きっと多い。

 『君の名は。』は、SFとしての面白さもさることながら、こうした感情をうまく表現した映画だったと思う。『君の名は。』のキャッチコピーは「まだ見ぬ誰かを、探している」であったが、これは「まだ見ぬ何かを、探している」と言い換えられる。自分の中の高まりをぶつけられるような、しっくり来る何かがあるに違いない、でも分からない、遭遇したらきっと分かるはず、という感情だ。生きているうちに、「君の名前は!」と叫ぶ機会のある人は、幸せと言わなければならない。

 僕にも、昔から自分の中にくすぶる炎、よどんだ水のようなものがあって、それをうまく出せたときは自分でも驚くほどのことを成し遂げられた。問題は、長期的に情熱を持ち続けられるものがないことだった。同時に、「他の人の真似をしていてはそんなものは見つけられない」という強迫観念にも悩まされてきたと思う。

 しかし、キマリが報瀬に感化されて南極への旅というよどんだ水の行き先を見つけた姿をみると、そんな「何がなんでも自分で」と凝り固まった心がスッとほぐれるような心地がするのだ。きっかけはなんでもいい。真似したくなる憧れの人と出会うことだって、一つの能動的な試みなんだ、と思えてくる。

 さて、『宇宙よりも遠い場所』は始まったばかり。 協力として文部科学省国立極地研究所海上自衛隊、SHIRASE5002(一財)WNI気象文化創造センターといった機関が名を連ねているのをみると、実際の南極観測事業や科学研究に基づいた描写になりそうだ。僕らには想像もつかない、しかし全く不可能ともいえない、ソフトなSFとも言えそうな領域の難題を、彼女らはどう乗り越えていくのだろう。

 第1話のクライマックスでは、キマリが不安を乗り越え、大きな目標への小さな一歩として新幹線に乗り、南極観測船を下見するために広島へ向かう姿が描かれる。これから先、友人の夢から始まった南極への旅路が、どう彼女そのものの夢になっていくのか、彼女がどんな活躍で南極を目指すのか、最後まで見届けたい。