『ファインディング・ドリー』

  ディズニー&ピクサーファインディング・ニモ』の続編。『ファインディング・ニモ』で息子を探すクマノミのマーリンに同行したハギのドリーが、今度は自らの家族を探す旅に出る。最近になってよく聞かれる「生きづらさ」を抱えて生きる人へ、その生を肯定する内容である。他の映画と一緒にサッとレビューを書くつもりが長くなってしまったので、記事を分けることにした。

 ドリーは忘れっぽく、会話の途中で話の最初を忘れてしまうほどである。この症状は、彼女が説明に"Short-term memory loss"という固い言葉を使うことからも分かるように、発達障害のメタファーどころかそのものと言ってもいい。こうした特性のおかげで、家族探しは難航する。僕自身、単純な物事の記憶やマルチタスクの不得意、衝動性に日々困っており、彼女の冒険はまるで自分のトロさを外から見ているようで、少し辛く、そしてハラハラした。

 本作において「何かが足りない」登場人物は、ドリーだけではない。足が7本しかないタコのハンクや、近視のジンベエザメのデスティニー、そして片ヒレが小さい前作の主人公、ニモ達がそれぞれの特技を活かし、ドリーを助ける。さらに登場人物の造形はドリーの類型にとどまらず、驚くほどの多様性を見せている。例えば、シロイルカのベイリーは本来の能力を失っていないにも関わらず、能力を使えないと思い込んでいる。ディズニーのキャラクターとしてもっと珍しいところでは、外的弱者に優しく、しかし集団内弱者を執拗にイジメるオットセイなんてのもいる。こうした登場人物の多様性は、発達障害や生きづらさを抱える人が暮らす世界を、寓話的でありながらリアルに表現している。最近のディズニーやピクサーの作品はそういう風潮なのかもしれないが、昔ながらの"勧善懲悪"だとか"きれい事"のような要素はあまり見られず、子供にも安心して見せられるクオリティを保ちつつ現実的なメッセージを発しているといった印象である。

 ドリーの冒険を通じてこちらに語りかけてくるメッセージもまた、多面的で力強い。ドリーの冒険は当初、彼女が衝動を抑えきれず突発的な行動を取ったり、決まった手続きを覚えられないことにより数々の危機に直面することになる。その度、彼女は幼い頃、両親に教えてもらった思い出をフラッシュバックし、ヒントを得て乗り越えていく。特に印象深いのは、枝分かれしたパイプを一人で進む必要に迫られるシーンだ。ドリーは道筋を覚えられるか心配で困り果ててしまうが、父の「どんなときも必ず他の方法があるはずだ」という言葉を思い出し、解決策を考える。このシーンですでに自分は目が霞んでいたのだけれど、感心したのは、後々再度そのパイプに挑戦することになるという点である。結局、やはり道筋を覚えられず迷ってしまうのだが、そこで友達を頼るという別の着想を得て窮地を脱していく。ここで製作者は、壁に当たったときに自分に合った方法をとってもよい、しかし時には真正面から乗り越えるべきこともある、と示唆しているのだ。

 さらに、本作はこうした不器用な人々の背中を押す内容ながら、それを援助する人間への視点も忘れていない。ドリーが一人で危機を乗り越えるときには両親の教育が活かされるし、彼女が並外れた着想を持っているとはいえその実現に快く付き合うのは周囲の仲間たちである。ドリー以外にも、それぞれの弱点を励まし合って克服するデスティニーとベイリーの関係や、ドリーを叱責したりリスクを避けるなど"常識人"のマーリンがドリーのやり方を肯定するシーンなどは、お互いの能力を補い合う姿を美しく描いており、見ている僕もいつも自分を支えてくれる友人達への感謝の念を改めて強くさせられた。

 展開としては特に序盤〜中盤が、楽しい会話やホッと一息する場面も挟みつつ、ずっと緊張感のある話運びで見る者を飽きさせない。他にも、魚の病院の機能を説明するシガニー・ウィーバーのアナウンスをテーマと絡めたり、もうドリーが忘れてしまったであろう過去の会話を他の登場人物が再現するなど細かい工夫がいっぱいで、展開で魅せていくタイプの映画として濃密な脚本となっている。

 

 

こちらは素晴らしいamazonレビュー。

障害を持つ身として、思うように進まないドリーの冒険を、他人事としては見れなかった。