失ってなかった。 〜嫌われることへの不安とネット依存〜

以前書いたこの記事

tawashan.hatenablog.com

だけど、ここ数日間は相手からもこちらからも互いに話しかけ、楽しく会話することができた。これまで何度も、人に嫌われないかと心配した挙げ句、全くの杞憂だったということがある。それにも関わらず毎回不安になるのはなぜだろうか。

一見、過去に「人に嫌われないか心配になったとき、実際には嫌われていなかった」という経験を繰り返すほど、「次に人に嫌われる確率は低いのだから心配する必要はないはずだ」と考えそうなものである。実際、認知行動療法をする場合に自動思考(一次的な思考)に対する反論をするならば、このように書くと思う。ところが、他人から冷たい(とも受け取れる)態度があった場合には、毎回一発目の自動思考のレベルからその不安が消えることはなく、なんとか心を平静に保ちたいという葛藤が始まる。これは、「本当に嫌われる確率」ではなく「嫌われる不安への対処」のまずさが原因なのだろうと思う。

マインドフルネス認知療法においては、一般的な問題解決を行う際の心の動きを「すること」モードと呼び、心が「いま、そこ」にあって何かを変えようと意図しない状態である「あること」モードと区別する。「すること」モードでは思考した内容を現実のこととして認知することで問題解決の遂行を助けるが、これは感情的な問題には役立たないとされる。不安に対しああでもないこうでもないと否定することで、余計にその架空の物事へ引きずり込まれてしまった経験のある人もいるだろう。

「すること」モードによる否定の他に不安を悪化させるのは、不安を解消する真の効果はないが短期的には快楽を得られる、ニセの対処法に頼ることだ。僕の場合で言えば、嫌われないか心配で仕方なくなった夜はたいてい、ネットサーフィンを1−2時間してしまう。クリックし続ける間、不安が心から消えた気になるが、ふとまた首をもたげてきてクリックを続ける、というサイクルを繰り返し、終わった頃には疲労と罪悪感が残る。

では正しい「嫌われる不安への対処」を実行し、一発目の自動思考から不安を消し去るにはどうしたらよいかと言えば、認知行動療法やマインドフルネスなどで自分の自動思考を修正したり、客観視できるように何度も訓練するしかないのだろう。ともあれ、それとは別に「自分は嫌われやすい人間ではない」という自信は持ってもよいのだろう。そして、淡々とミスを減らす対策を行っていこう。