人の心を読みすぎる人

働き始めてから、人の心を読みすぎる人、というのは案外多いんだなあと感じるようになった。「読みすぎる」というのは「読めすぎている」のとは違う。ありもしない心を読もうとするのである。それを極めたところでは、以前の職場で、「人のやりたいことを先読みしてやってあげることが好き」という人がいた。自分のことに一杯一杯で周りの様子が見えていない僕からすれば、なんて優しい人なんだろうと思う。

ところが、人の心は完全に読めるわけではない。人は、行動から相手の心=意図を読み、その事例を蓄積して意図と行動のパターン=性格を自分の中に印象作る。問題は、まず行動から意図を正確に読めるわけではないということ、そしてその理由の一つでもあるのだが、行動と意図は一対一対応ではなく、人によってヴァリエーションがあるということだ。それを踏まえると、多種多少な顧客をターゲットにするサービス業であれば、多くの人の思考回路に沿って相手の考えていることを読む、というのは正しい戦略だろうと思う。とはいえ、多数派の公式が当てはまらない人に当たるケースは少なからず存在するはずだ。

困ったことに、そういったとき、人の要望を先回りしてやってあげたいと考えている人たちは結構な割合で"怒る"のである。僕なんかは、目的が決まったら視野が狭まって猪突猛進もするし、笑いや怒りのツボも人と違うので、心を読みづらいことこの上ないのだろう。彼らのお叱りをまともに喰らうこともしばしばだ。

例えば、書類をふと置いておくと、勝手に印鑑を捺すものだと思った彼らに処理されてしまう。もちろん目を離す僕も悪いのだが、放っておいたものを指示されていると思って取っていかなくても、と思う。

特に彼らを苛立たせるのは、彼らができることを僕が自身でやってしまうことらしい。例えば、宛先・封筒のサイズ・中身が全て違う書類を郵送するとき、いちいち指示するのはとても面倒くさい。全て揃えて自分でやってしまった方が、時間も手間もかからない。それを「私がやるので置いといてください」と苛立ち気味に言われる。

その度僕は、「あれ?僕がやりたいことをやってくれるんじゃないの?」と、不思議に思う。僕が彼らにやってほしいことは、何もしないことである、ということもあるのだ。だから、その度、行動の意図を説明する。「ありがとう、しかし僕はこうしたいからこう動いているんだ、もしあなたにやってもらいたいことがあれば指示する」と。

しかし、彼らはそれで納得しない。いかにも不服そうである。こういうことが何回も続くので、僕も「他の人がどう考えているときにどう行動すると彼らが考えるか」を逆算して行動するようになる。これはたいへんに疲れる。相手は少なくとも主観的には親切にしてくれているはずが、逆に縛られている気分になってくる。

彼らは、場所や相手によってはテキパキとした"デキる"人なんだろう。仕事を奪わないで、という問題でもあるのだと思う。それにしても、違う思考回路の人を想定しないやり方は、長い目で見てサービス業としても良くないんじゃないだろうか*1。僕みたいな人や、もっとぶっ飛んだ人がもし顧客だったら、その人を切り捨てることになりはしないか?と、ふと不安になるのである。

*1:本来僕のような同業者への対応と顧客対応は別であるべきと思うが、実際僕の周囲の人たちはあまりその区別がついていないようで、同じ方法論のコミュニケーションを取ろうとしているように見える。